名神大社・岩代の国一ノ宮
会津の聖地、伊佐須美神社 四道将軍の父子がそれぞれの道をたどり、東北道各地を平定した後、この地で出会ったことから「会津」という地名が起こったと伝えられています。この時、国家鎮護のため国土開拓の神様であるイザナギノミコト、イザナミノミコトの二神を新潟県境の御神楽岳に奉斎しました。これが伊佐須美神社の起源とされています。
その後、博士山、明神ヶ岳を経て欽明天皇十三年(522年)に高田南原の地に遷御し、更に同二十一年(560年)現在の宮地、東原に御神殿を造営しました。
御遷座されて以来1,400有余年、名神大社・岩代の国一ノ宮会津総鎮守の格式をもち、国重要文化財「朱漆金銅装神輿」や県重要文化財「木造狛犬一対」が保管されています。いまなお産業文化、延寿縁結び、交通安全などの守護として県内外の人々の深い崇敬を集めています。四道将軍神話は、この地に中央の農耕技術や先進文化が伝えられたことを物語るものであり、会津文化発祥の地であるといえます。会津美里町は豊穣の土地であり、理想郷なのです。
御遷座されて以来1,400有余年、名神大社・岩代の国一ノ宮会津総鎮守の格式をもち、国重要文化財「朱漆金銅装神輿」や県重要文化財「木造狛犬一対」が保管されています。いまなお産業文化、延寿縁結び、交通安全などの守護として県内外の人々の深い崇敬を集めています。四道将軍神話は、この地に中央の農耕技術や先進文化が伝えられたことを物語るものであり、会津文化発祥の地であるといえます。会津美里町は豊穣の土地であり、理想郷なのです。